急ですが

フレー湖

昨日、イスラエル北部のゴラン高原一帯を旅してきました。

雨が降り始めたイスラエルでは、草木が元気に伸びめはじめ、

ところどころでアネモネの花が咲いています。

今年は例年よりも降水量が多かったためか、どこに行っても緑一面の草原が広がっています。

まだ一月ですが、もう春の到来かなぁと思わせるような心地よい天気。

こんなイスラエルの気候が大好きなんです。

 

っんで、旅行も快適で楽しいもんでしたが、

時間が全くないので、内容はまた今度書きます!

 

っんで、急なんですが、

本当に急なんですが・・・

 

今からエジプトに行ってきま~すぅぅぅ!!

出イスラエル、入エジプトに出エジプト、入イスラエル。

旅の無事を祈りつつ・・・

おもいっきり楽しんできます!!

להתראות!!



イスラエルがフムスで

ギネス記録を更新いたしました(拍手)!!

 

今日の新聞を見ていたら、なんじゃこりゃ~あ!と仰天かつ爆笑してしまほどの記事を発見。

イスラエルのアヴ・ゴッシュという町で今までのギネス記録を大幅に更新する大記録が誕生!

これがそのギネス誕生時の証拠写真です 。

 フムス

 

一枚のお皿に中東の伝統的料理であるフムスをどれだけのけられちゃうのかを争う、

超珍競争に思わず笑ってしますが、これを国家間で戦っているのがイスラエルとレバノン。

2009年10月に、レバノンが従来イスラエルが保持していた

ギネス記録400キロを大幅に超える2056キロを一皿にのせきることに成功。

「フムス=レバノン」という印象を全世界に広めしめた。

しかし、これに黙っていないのがイスラエル。

先週の金曜日に、イスラエル一番のフムスの町アヴ・ゴッシュで、レバノンの記録をいとも簡単に更新してしまった。

それも作り出した新記録はなんと4065キロ!!

「向こう30年はイスラエルに勝てないと思わせたい(byイチロー)」

と思わさせるような大記録。

これを作り上げるのに300人以上もの人が借り出されたとか・・・さすがイスラエル!あっぱれです。

 

やられたらやりかえす!といったイスラエルの姿勢は大好きだなぁ。

この程度の戦争で終わってほしいものですが、これでレバノンがどう反応してくるか恐ろしいものです。

お願いだから、武器での報復攻撃はしないでください!



現代ヘブライ語の父の誕生日

 

אליעזר בן-יהודה

今日1月7日(正確にはユダヤ暦におけるテベットの月の21日目)は、

私が尊敬してやまないエリエゼル・ベン・イェフダーの誕生した日です。 

ベン・イェフダーは、今から約100年ほど前、まだイスラエル国が建国されるずっと前から、

長い間書物にだけしか使われていなかったヘブライ語を話し言葉として現代に復活させた先駆者、

まさに現代ヘブライ語の父なのです。

 

きっとピーンと来ない人も多いかもしれませんが、

今から数十年前はまったくといっていいほど使われていなかった言語が、

今ではイスラエルの母国語として何百万人の人が日常会話で使っているのです。

そして今日になって、もう一度彼の功績を見直し称えること、

そして彼が必死の思いで復活させた現代ヘブライ語を守り強化するため、

先日イスラエル政府により彼が誕生した日を「国のヘブライ語の日」と定めました。

 

ベンーイェフダーは今から二千年以上前に使われていたヘブライ語を調べ直し、もう一度現代に使えるようにしました。

そして現代において不足している単語には、姉妹言語を調べ語源をたどり、そこから新しい単語を生み出しました。

ただ彼はヘブライ語が好きだから、言語が好きだからヘブライ語の研究に狂ったのではありません。

ユダヤ人が独自の国家を建設するにあたり、まずはユダヤ人の共通の言語だと必要だと思い、

イスラエル建国のために全生涯をかけてヘブライ語を復活させることを誓います。

 

ヘブライ語の新聞を発行しては、そこにヘブライ語で国家建設の重要性を訴えてました。

また晩年はヘブライ語辞書の編纂に全ての時間を費やし、寝る間を惜しんで辞書製作に励みました。

1922年冬、ベン・イェフダーは志半ば、辞書の編纂を終えることをなくこの世を去ってしまいますが、

彼が残した資料は莫大なものであり、その遺志をついだ家族やヘブライ言語学者たちがその後も編纂作業にあたり、

全17巻からなる「ベン・イェフダー辞典(ヘブライ語大辞典)」を完成させました。

מילון בן-יהודה

 

私が本気でヘブライ語を勉強しようと思ったのは、ベン・イェフダーの生涯を描いた伝記を読んだときからでした。

そして私もこのような生き方をしたいと願い、この4年間ヘブライ語を勉強することを通して、

自分は何のために学び、どのように生きっていったらいいのかと模索しながら大学で戦ってきました。

 

不可能な夢を可能にするのに、ただ「奇跡」の一言ではおさまりきれない、とてつもない努力と、強い精神力、

そしてなによりもそれを実現にいたらすのはその人の「熱願と熱情」が一番大事だと気づかされています。

 

「היום קצר והמלאכה מרובה」時は短く、なすべきことはあまりにも多い

 

2010年もベン・イェフダーの如く、一日一生の思いで精一杯生きていきたいと思います。



はふたあァ~!

 

日本食

 

大量の日本食がいきなり我が家に届いちゃってました!

突然の贈り物にみなビックリ!!

ほんと感謝です(涙・・・)

 

これはやはり一枚記念撮影でしょ、ということで一枚パシッ!

やはりどこにいても、日本食が一番ですね。

いつも私たちのことを心に留めて日本食などなどを送ってくださる皆さん、

本当にありがとうございます!!



ご来光を仰ぎながら

みなさん、2010年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

こちらイスラエルは全くと言っていいほどお正月の雰囲気がありません。

ユダヤ教にはまた別の暦がありますので、西暦を基準とした新年はまったくといっていいほど祝いません。

だから昨日も今日もいたって平日、なんとも味気ないものです。

 

今年も例年と同様、初日の出を仰ぎにいくため、ヘブライ大学に出向かいました。

あいにくの天気のため、視界は悪く、太陽がいつ上ったのかわからないくらいでしたが、

やはり新しい年を迎えるにあたって、初日の出に見に行くと心も新たな思いにさせられます。

ふと手に持っていた聖書開いて読んでみると、不思議な発見がありました。

 
第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。
すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、
その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、
幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。
主がモーセに命じられたとおりである。(出エジプト40章17~19節)

 

会見の幕屋とは、今から約3400年前に古代エジプト王国の奴隷として苦しい生活を送っていたイスラエルの民が、

神に召命された民族指導者モーセに率いられて、出エジプトした故事に関わってきます。

出エジプトしたイスラエルの民に対して神様は、荒野の中に神と民が出会う至聖所「会見の幕屋」を作るように指示します。

出エジプトしたニサンの月を正月と定めましたが、それから一年後の元日に幕屋は初めて完成しました。

つまり簡単に言えば、元日に幕屋は建てられたのです。

 
モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。
雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。
彼らはその旅路において常にそうした。
しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。
すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、
昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。
彼らの旅路において常にそうであった。(出エジプト40章35~38節)

 

幕屋が進んでいくときにはつねに雲が覆っていた。ただの雲でない、主の雲が覆っていたといいます。

今年の初日の出は雲に覆われ何も見えませんでしたが、

幕屋が建てられてた元日にこのように雲が全イスラエルを覆っていることに感動。

この一年はきっとイスラエルにとってもまた自分にとっても激動の一年にになるかもしれない、

だけど主の雲に覆われながら示される道を歩んで生きたい!

そのように思わされた一年の始まりでした。

会見の幕屋



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