Category: 聖書の舞台

エジプト旅行は

 

めちゃんこ楽しかったです!

たとえ国は違っても、まわるところ全てが聖書の舞台!

歴史的にみても古代文明を知る上で重要な地。

中学一年のときに「エジプト文明ってすごいんだぞ!」と社会の先生に教えてもらいましたが、

今になって、自分の目で見てやっと「なるほどね~」とうなずけるわけです。

 

とにかくどこに行っても感動しっぱなしでした。

ただ更新がこんなにも遅くなってしまったので・・・

 

なんか新鮮味もかけてしまいまして・・・

 

そんでもって、やはり私はイスラエルを紹介する使命がありますので・・・

 

旅行記はまたおいおい、どこかで、お伝えします。

 

「ホントは行ってないんだろ!」と言われないよう、一枚パシッ!

 

ピラミッド

急ですが

フレー湖

昨日、イスラエル北部のゴラン高原一帯を旅してきました。

雨が降り始めたイスラエルでは、草木が元気に伸びめはじめ、

ところどころでアネモネの花が咲いています。

今年は例年よりも降水量が多かったためか、どこに行っても緑一面の草原が広がっています。

まだ一月ですが、もう春の到来かなぁと思わせるような心地よい天気。

こんなイスラエルの気候が大好きなんです。

 

っんで、旅行も快適で楽しいもんでしたが、

時間が全くないので、内容はまた今度書きます!

 

っんで、急なんですが、

本当に急なんですが・・・

 

今からエジプトに行ってきま~すぅぅぅ!!

出イスラエル、入エジプトに出エジプト、入イスラエル。

旅の無事を祈りつつ・・・

おもいっきり楽しんできます!!

להתראות!!

ご来光を仰ぎながら

みなさん、2010年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

こちらイスラエルは全くと言っていいほどお正月の雰囲気がありません。

ユダヤ教にはまた別の暦がありますので、西暦を基準とした新年はまったくといっていいほど祝いません。

だから昨日も今日もいたって平日、なんとも味気ないものです。

 

今年も例年と同様、初日の出を仰ぎにいくため、ヘブライ大学に出向かいました。

あいにくの天気のため、視界は悪く、太陽がいつ上ったのかわからないくらいでしたが、

やはり新しい年を迎えるにあたって、初日の出に見に行くと心も新たな思いにさせられます。

ふと手に持っていた聖書開いて読んでみると、不思議な発見がありました。

 
第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。
すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、
その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、
幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。
主がモーセに命じられたとおりである。(出エジプト40章17~19節)

 

会見の幕屋とは、今から約3400年前に古代エジプト王国の奴隷として苦しい生活を送っていたイスラエルの民が、

神に召命された民族指導者モーセに率いられて、出エジプトした故事に関わってきます。

出エジプトしたイスラエルの民に対して神様は、荒野の中に神と民が出会う至聖所「会見の幕屋」を作るように指示します。

出エジプトしたニサンの月を正月と定めましたが、それから一年後の元日に幕屋は初めて完成しました。

つまり簡単に言えば、元日に幕屋は建てられたのです。

 
モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。
雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。
彼らはその旅路において常にそうした。
しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。
すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、
昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。
彼らの旅路において常にそうであった。(出エジプト40章35~38節)

 

幕屋が進んでいくときにはつねに雲が覆っていた。ただの雲でない、主の雲が覆っていたといいます。

今年の初日の出は雲に覆われ何も見えませんでしたが、

幕屋が建てられてた元日にこのように雲が全イスラエルを覆っていることに感動。

この一年はきっとイスラエルにとってもまた自分にとっても激動の一年にになるかもしれない、

だけど主の雲に覆われながら示される道を歩んで生きたい!

そのように思わされた一年の始まりでした。

会見の幕屋

ユダの荒野

あ、私事で、しかも事後報告なんですが、昨日付けで23歳になりましたCarmelです。
イスラエルで迎える4度目の誕生日、皆から多くの祝福を受けて感謝の限りでございます。

言葉にするのはあまり得意じゃないから、どんどん写真を掲載していこうと思いながらも、それすら面倒がって進んでない状況ですが、年齢の区切りを迎えた今、新しい一年が一層の飛躍と変貌の年となりますよう願います。

昨日はユダの荒野と呼ばれるイスラエル東部、死海周辺の地域を旅して参りました。

エイン・ゲディ、ダビデの滝

エイン・ゲディ、ダビデの滝

マッサダ(要塞)、奥に見えるのが死海

マッサダ(要塞)、奥に見えるのが死海

天然の要害として建てられ、ユダヤ戦争においては苦しい防衛戦の末にユダヤ人の集団自決を選びとったマッサダ(要塞)。

世界で最も低い標高(現時点で海抜マイナス418メートル)に位置する塩湖で、いかなる生物も生息できないと言われるほどの塩分濃度(約30%)である死海。

ダビデがイスラエルの王になる前の頃、サウル王に追われ、多くの従者と共にその身を隠した物語で語り継がれる、4つの泉を持つ荒野のオアシス、エイン・ゲディ。

どれも古来からユダヤの精神において重要な役割を担ってきた場所場所です。

何もかもが豊かに満ち足りて恵まれることばかりが祝福ではありません。 時には人生の砂漠の様な場所を通ったとしても、もっと大いなる存在に触れることを渇望し、また不思議な生命力で溢れる様な事だってあります。

人は砂漠の様な不毛な大地に立った時、決して一人では生きていけませんし、その目は自然に天へと注がれます。 物質的に不自由の少ない生活ができる現代のようであっても、次代を開く鍵はもっと目に見えない所に隠されているように感じます。 自分自身、工学を志す身ながら、荒野で何においても不足しがちな生活の中に身を置く人々に触れ、共に生活を体験した時、彼らの内にある不思議な闘魂、開拓者精神という物を熱く感じ取りました。

物作りは、確かに人の生活を便利にし、また不足を補うためにありますが、それ以上に人の心を豊かにしていけるような技術者になりたい、そういう風に今願いが湧いてます。

ハイファの夜景

はじめまして、Carmelと申します。
Blogの管理等を任されていますが、もっと皆で活動を盛り上げていきたいということで、私も初投稿させて頂きます。

私はハイファという町に住みながら、この町の大学で学んでいる者ですので、
何度かに分けて簡単に町や土地柄などを紹介していこうと考えています。

地中海沿岸(ハイファ市バット・ガリーム地区より)

地中海沿岸(ハイファ市バット・ガリーム地区より)

ハイファー(حَيْفَا)とはアラビア語でして、ヘブライ語ではヘイファー(חֵיפָה)と読み、海岸を意味する言葉から派生した町の名前だと言われています。
紀元前3世紀頃から、 ユダヤ教の伝統的な書物の中に何度も登場するようになりますが、その後の他国による支配の変遷によってこの町も何度もその姿を変えていきます。

地中海とカルメル山という聖書の大舞台に座する町で、ここにも多くの巡礼者が訪れます。町並みの大部分はオスマン帝国の支配時に由来するものが多いですが、山上の町であり港町でもあるハイファは昔から文化的に重要視されてきました。

現代では、エルサレムは宗教・政治的な中心地、テル・アビブは経済的な中心地という風に言われるのに対し、ハイファは産業の中心地と言われたりもします。今では貿易は専ら国際空港を持つテル・アビブの方が栄えていますが、ハイファでは多くの工場が立ち並び、IntelやMicrosoft、IBMやGoogleなど世界に名を馳せる企業の開発所があります。

色々な民族、宗教の人たちが仲良く共存できる平和な地域でもあり、ペルシャ発祥の世界宗教バハイ教もハイファに本部を構えていることで有名です。バハイ教の巨大な寺院・庭園があり、町のシンボルのようにも思われます。

…(別の記事で紹介は続きます)

先日、ウルパン(ヘブライ語教室)で学びを終える友の帰国が近いので、短い時間でしたがハイファは散策、最後にハイファの夜景を展望しました。カルメル山中腹(標高200mくらい、多分)にある展望台から、漢のロマン、地中海方面の町並みを展望しました。

ハイファの夜景(カルメル・センターの展望台より)

ハイファの夜景(カルメル・センターの展望台より)

人工的な美しさとはいえ、この二千年来の血なまぐさい歴史をすべて見届けてきた地中海とカルメル山に、この地を生きた偉人たちに肖って生きようとする人々が彩る光なのであれば、これもまた聖地が持つ輝きの一つなのではないでしょうか?

…あと、逆に湾岸側から見上げる山上の夜景ももっと凄いです。夜景を見上げるなんて、日本では少ない光景です。ハイファいいとこ一度はおいで♪

ラスト・サラム!

 

旅は順調に進み、いよいよ最終日の5日目。

僕らは朝いちにアンマンからバスに乗り、ネボ山に向かうことに。

っと、その前にやることといえば、朝にアラビアン・コーヒーを飲むのがこちらのしきたり。

道を歩いていると誰もがコーヒーを飲んでいるのにちょっとびっくりであったが、一杯たったの35円とは安すぎる!

コーヒー

 

バスに乗り走ること一時間。

今まで砂漠地帯しか走ってこなかったが、ここにはたくさんに畑があった。

アンマンから西に向かって広がる地帯はモアブ平原と呼ばれている。

きっと聖書にでてくるモアブ出身のルツもこのようなところで育ったのかと思うと、感動でならなかった。

 

そして辿り着いたところは、聖地ネボ山。

ここからの眺めは本当に素晴らしかった!右に死海が見え、左にはエリコの町、

そしてど真ん中にはうっすらと聖都エルサレムが見える。

ネボ山

申命記34章によると、

この山にのぼったモーセに神様はアブラハム、イサク、ヤコブに誓ったカナンの地を見せた。

しかし神様はモーセにカナン入りを許されず、その場で天にへと引き上げていく。

そして今に至るまでモーセが葬られた場所は誰も知らないのである。

 

何かここにくるだけで、少し神妙なおもむきになるのは気のせいであろうか。

南からずっと上がってきて着いたこのネボ山。

目の前に見えるのは今自分たちが住んでいるエルサレムの町。

ここに立ったモーセの思いはどんなものであったのだろうか。

そして最大の指導者を失ったイスラエルの民はどのような思いになったのだろうか。

 

聖書はこのあとヨシュア記へと続いていく。

そして神様はまず初めに次の指導者をヨシュアと定め、彼に

「強く、また雄々しくあれ!あなたがどこに行くにもあなたの神、主は共におられるゆえ、

恐れたはならない、おののいてはならない!

と励まされた。その言葉が僕の中にも響いてならなかった。

 

その後はマダバに行き、そしてアンマンへと戻り、アンマン城を見て国境へと向かった。

もう少し書きたいことはいろいろあったが、もう説明ごとが多くなってしまうのでやめておきます。

 

 

総括として・・・

やはりヨルダンも聖書の舞台、つまり聖地だということを改めて実感しました。

そしてなりよりも感動したのはヨルダン人の人柄がとても良いということ。

どこに行っても、ぼくらが日本人だというと笑顔で話しかけてきてくれる。

貧しい国かもしれないが、子供たちも一生懸命働いているし、

その日その日を何とか生き抜こうと必死になっている姿に感動した。

子供

バスの中で一時間近くアラビア語を教えてくれたファズワーンくんとザイトくん。

君たちの笑顔は一生忘れないよ。

 

君主制国家のヨルダン王国は、どこに行ってもヨルダン国旗が掲げられ、

国王の写真がどこの場所に行っても掲げられてあった。

彼らはそれが当たり前だというんだが、同じように君主制の形を取る日本とは明らかに違うのはショックだった。

 

何はともあれ、無事に帰ってこれてよかったです。

 

〈終わり〉

サラム・アレ~クム! (4)

ぺトラ

4日目・・・

「なんじゃ、こりゃ~!!」とビックリされている皆さん、

これがあの難攻不落の町ぺトラでございます!!!

まるで人間がありんこに見えますよね。

 

これがかの有名なエル・カズネ(宝物殿)とよばれているもの。

高さはたぶん20~30メートルくらいあるのではないだろうか思うぐらいでかい!

ぺトラの遺跡はヨルダン国内で最初に世界遺産に登録された遺跡。

今では新・世界七不思議に選ばれてしまうほどワンダフ~ルなものであり、

まだ多くの謎が秘められているのだとか。

とにかくその巨大さに驚くのもさることながら、これらがひとつに一つに限らず、

この周辺一体にはに数十の同じような砂岩をくりぬいて作られた巨大な遺跡が数多くある。

ぺトラ2

 

「ぺトラ」はギリシャ語で「岩」を意味し、紀元前一世紀ごろからナバテア人の都市として栄えた。

現在のイスラエルでも、当時のナバテア人が考えついた「砂漠の中でも農業を成功させる技術」を用いてブドウ園を作り、

困難な条件が多い砂漠地帯でも農業で成功している例があるほど、ナバテア人は優れた技術をもっていた。

またギリシャ文化やローマ帝国の技術・芸術を用いて、誰もが考えつかないようなものを築き残していったのである。

このローマ劇場も岩をくりぬいて作ってあり、とてもすばらしかった。

ローマ劇場

 

そして、さらに山道を歩くこと1時間、たどり着いた場所にはぺトラ最大の遺跡があった!

見えますか、真ん中で大の字になっているD兄が。小石でもアリでもありませんから。

ぺトラ3

これはカスル・エル・ビントと呼ばれ、かるく40メートル近くこの建物は、当時のナバテア人の神殿といわれている。

それにしてもデカすぎませんか、これ。。。

 

結局ぺトラの全遺跡を歩いてまわること6時間!!

おかげで体重が2Kgも痩せましたわ。

 

またここには、モーセが杖で岩をたたいて水が湧き出たという奇跡(民数記20章)が起きた場所だといわれ、

またこのぺトラの山の向かいが、アロンが死んだと記されているホル山(民数記33章)だともいわれている。

まさに聖地ですね!

ぜひここは人生に一度行くに価値ある場所だと断言できます。

 

そのままバスに乗り、砂漠の道を猛スピードで北上していく。

ヨルダンも国土の80%は砂漠地帯といわれるほど、見渡す限り砂漠しかない。

すでに40度はゆうに超えていると思われるが、バスにクーラーなど無く、

窓を開けるしかないが、しかし開ければまた強烈な熱風が入り込んでくる。

そして追い討ちをかけるかのように、ヨルダン人は平気でバスの中でタバコを呑みまくる・・・

だけど、僕もイスラエルで6年培われた根性で、

汗びっしょり、よ○れびっしょりになりながら3時間暴睡してやりました。

 

着いた先はヨルダンの首都アンマン。

一泊一人750円の安宿をみつけ、夕食を食べ、ヨルダンの夜景を見に行くことに。

明日はどんな旅が、出会いが待っているのやら。。。

アンマンの夜景

 

〈つづく〉

サラム・アレ~クム! (3)

3日目・・・

いよいよヨルダン入国に向けて旅立つ。

バス

 

ベエル・シェバから大型バスに乗り込み三時間バスに揺られ着いた先はエイラット!!!

イスラエルに行ったことがある人なら、誰もが行ってみたいという遊楽地。

エイラット

誰もが一度は憧れるこの地に初めて足を踏み入れた感想は・・・

 

たいして面白くなかったのです。

う~ん、着いて一時間ぐらいブラブラしましたけども、やること無くて結局出国しました。

やはり遊ぶには時間とお金が必要みたいですね。

 

ということで、いよいよ出国・・・と思いきや10分で入国!?

あっという間に手続きが終わってしまいヨルダンに入国してしまいました。

 

そして最初に行った地はアカバという町。

はじめてみました、ヨルダンの海の家!中東って感じですね。

アカバ

ひと泳ぎしましたよ。気持ちよかった!

 

そしてバスに乗り込み、砂漠の道を走ること2時間・・・

たった2DIN(日本円でたった280円)でぺトラ近くの町に着きました。

 

きっとイスラエルの民も3300年前、モーセと共にこのアカバの地を通り、

40年間近くも歩いたのかと思うと言葉を失います。

 

いよいよ明日はぺトラ!このくそデカイ最強の遺跡を攻略するぞ!!

 

〈つづく〉

サラム・アレ~クム! (2)

ミツペラモン

2日目・・・

朝みんなでミツペラモンに向かった。

スデー・ボケルからさらに40km南にいったところにポツリと町がある。

この町ができたのは1956年と比較的若い町であるが、いまはホテルも建ち、一観光地になっている。

 

 ミツペラモン2

ここは僕らが初めてイスラエルに来た9年前に、最初に宿泊した思い出の場所でもある・・・

当時僕らは「開拓者」という言葉に心燃やされた。

何もないところに道をつくり、畑を耕し、家を建てていく。

土台つくりから始まり、それが何世代とわたっていくにつれ、そこは拡大されていく。

しかし豊かになればなるほど、現在の生活に満足し、過去の基礎作りなど忘れられてしまうのかもしれない。

 

イスラエル国土の60%は砂漠地帯。

そのような厳しい自然状況にも屈することなく挑んだ開拓者たちに今でも憧れる。

自分もそうなりたい!

 

呼ばわる者の声がする、

「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。

・・・人はみな草だ。その麗しさは、すべての野の花のようだ。

主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。

しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない。」

 

荒野を眺めながら聖書のイザヤ書40章を読んだ。

ここで読むのに最も相応しい聖句であった。

 

動物園

そのあとみんなでハエー・ラモン動物園にいきました。

平均年齢25歳以上のメンズグループがそろって動物園を見学・・・

 

しかしここには砂漠地帯に生息する動物たちを飼っているちょっと変わった動物園。

厳しい環境のなかを動物たちも一生懸命生きている話を聞けてとても興味深かった。

動物たちも頭が本当にいい。

ヤマアラシ

ガイドを聞いた中で一番面白かったのがこのヤマアラシ。

とっても面白かったけど、ちょっと公共の場では書けませんので、

ぜひヘブライ語がわかる方はヘブライ語版ウェキペディアで検索してみてください!

 

〈つづく〉

聖地!

Holy place

新聞を読む時間がない! てなわけでイスラエルの写真を載せる ってあたりまで妥協しました!

写真は3千数百年前、民族大移動があった舞台らしいぞ!!

ベンユダさん紹介のContinueはいい曲だよ、まぁ、特にベンユダさんはストイックな生きかたしかできない人だしね。 とりあえずサイトに貢献できたかな?

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